歴史よもやま話

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その1 光源氏は糖尿病だった

紫式部が書いた「源氏物語」の主人公、光源氏は藤原道長がモデルになっています。「この世をばわが世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思えば」と天皇の外祖父として栄華を極めた物語です。藤原道長は日本では記録に残る糖尿病患者の第1号と言われています。当時の記録では、摂政関白となった頃(50歳)より、「頻りに将水を飲む。口渇き力無し。食は例より減ぜず。」という糖尿病特有の症状である口渇・多飲・全身倦怠感が出現し、52歳で先の有名な和歌を詠んだ頃には「目見えざる由近づくも即ち汝の顔殊に見えず。晩景と昼の時と如何と、只殊に見えざるなり。」と糖尿病の合併症で視力が低下した記録が残されています。最後には61歳で背中の瘍がもとで敗血症を引き起こし、亡くなっています。

道長の叔父、兄、甥も糖尿病で亡くなっており、藤原氏は糖尿病の素因があったと思われます。当時の貴族は激しい権力闘争によるストレスに加え、朝10時と夕4時の食事の他、間食、夜食を摂り、週に2~3回は宴会で、タイ、エビ、サケ、コイ、アユ、サザエ、白貝、雉を食べ、にごり酒を大量に飲んでいたようです。また、非活動的な生活と衣装による運動不足もあったことでしょう。

平安時代には一部の貴族にのみ見られた糖尿病は、現在では全国におよそ700万人にのぼり、毎年約4,000人が糖尿病のために失明し、約15,000人が新たに透析を受けるようになっています。

ひょっとすると糖尿病の方は藤原氏一族の子孫だったりして…。

その2 モナリザは高脂血症だった?

モナリザはレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた名画です。モデルが誰なのか、なぜ微笑んでいるのかは現在も不明のままです。モナリザの肖像画をじっくり見てください。左目の目頭に黄色調の扁平に盛り上がった腫瘤が描かれています。これは医学的には顔瞼黄色腫といってコレステロールが沈着したものです。一般的には血液中のコレステロールや中性脂肪が高いと出やすいのですが、個人差があり、血清中の脂質が正常範囲内でも出る場合があります。

治療としては脂質低下薬が有効で黄色調も褐色し、皮膚本来の色調に戻り、大きさや盛り上がりも縮小して、目立たなくなります。また、外科的にレーザー光線で焼却することもできます。黄色腫は顔瞼以外にもアキレス腱、肘・手関節、手のひらなどにも出現します。黄色腫があると美容上の問題だけではなく、動脈硬化が進行している場合があるので詳しい検査が必要です。

モナリザが生きている頃はもちろん血液中のコレステロールや中性脂肪が測定できなかったので、詳しいことは不明ですが、ひょっとしたらモナリザの死因は心筋梗塞や脳梗塞だったかも?

その3 ニュートンは痛風だった?

痛風は体の細胞の新陳代謝やエネルギーの消費によってできる老廃物である尿酸の結晶が、体のいろいろな部分に沈着することによって起こる病気です。特に、足の親指の付け根の関節が赤く腫れて痛む痛風発作の痛みは万力で締め付けられたように激烈で、大の大人が2、3日は全く歩けないほどです。痛風とは、風が当たっても痛むことから名づけられました。

痛風は大昔からあった病気でエジプトのミイラの関節に尿酸塩の結晶が、見つかったとの報告があります。古くから痛風に苦しめられた有名人は多く、アレキサンダー大王、ルイ14世、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ダンテ、ゲーテ、ニュートン、ダーウィンなどです。

日本では痛風は明治以前にはなく、近年になって患者が増え、現在数十万人の患者がいると推定されています。男女比は20:1で圧倒的に男性に多く、遺伝性素因のある人、比較的几帳面で行動的な人、アルコールをたくさん飲む人、肉食を好む人に多く発生します。また、知識人に痛風患者が多発する傾向があり、知的活動と痛風に何らかの関係があるのではないかと推測されていますが、詳細は不明です。

痛風患者は肥満、高脂結晶、高血圧、糖尿病などを合併することが多く、たとえ関節の痛みがなくても、動脈硬化が進み、心筋梗塞や脳梗塞になりやすいので注意しましょう。

その4 上杉謙信は脳卒中で死亡した

今年も寒い季節となりました。この時期に注意したい病気に脳卒中があります。脳卒中は日本人の死亡原因の第2位で、約4割の寝たきり老人の原因になっています。

脳卒中は今から2,000年前のギリシャ時代には「アポプレキシア」と呼ばれ、突然に意識を失って倒れ、運動麻痺が起こって、手足や口がきかなくなる、いわば打ちのめされた状態をいう言葉です。日本では、「突然悪い風邪にあたって倒れる」という意味で、「中気」「中風」と呼ばれていました。

その原因は脳の血管が詰まって血液が流れなくなったり(脳梗塞)、脳の血管が裂けて出血したり(脳出血)して、脳の組織が障害されることによります。この病気で上杉謙信、徳川吉宗、福沢諭吉、田中角栄、チャーチルなどが、亡くなっています。

上杉謙信は天正6年(1578年)3月19日、厠(トイレ)で倒れ意識不明のまま4月13日、49歳で死亡したそうです。当時の厠は屋外にあり非常に気温が低かったのです。また、酒好きで、塩辛い物を好んだと言われています。余談ですが、古い文献には謙信は「越後影虎大虫にて卒す」と書かれており大虫=婦人病であることから謙信は実は女性であったという説があります。

脳卒中を起こす危険因子として、加齢、糖尿病、高血圧、喫煙、肥満などがあり、長年続く悪い生活習慣が動脈硬化を引き起こし、ある日突然脳卒中を起こします。普段から生活習慣病には充分注意しましょう。

その5 織田信長をも虜にした砂糖の甘さ

人類と砂糖との出会いは今から2,300年前にアレキサンダー大王がインドに遠征した際、サトウキビを発見したときに始まります。

当時の記録には「蜜蜂がいないのに峰蜜を生む葦がある。」「噛むと砕ける甘い石がある。」とあります。日本には今から1,200年前の奈良時代に中国の僧、鍔真によって伝えられました。当時、砂糖は貫重な薬として奈良の大仏に献上されました。その後、茶の湯の流行とともに砂糖を使った菓子作りが盛んになり、羊羹好きの足利義政、金平糖に目がなかった織田信長の逸話は有名です。

砂糖は小蜴でブドウ糖と果糖に分解され、ブドウ糖はすみやかに吸収され、60%が肝臓、25%が脳、10%が筋肉、残り5%が脂肪組織に取り込まれます。ブドウ糖によって人間の記憶力は増加・持続し、血液中の適度な糖濃度が、注意力や忍耐力を維持するのに必要であることが分かっています。また、甘いものには、ストレスを解消する作用があるという研究結果が報告されています。

人間は本能的に甘いものを欲するようになっています。しかし、砂糖を過剰摂取すると急峻な血糖上昇が見られる他、果糖も吸収され、その結果、中性脂肪の合成が亢進したり、乳酸や尿酸の産生が増加して肥満や痛風の原因となったりします。この傾向は特に糖尿病患者で顕著に見られます。

「金平糖じゃないけど、甘いものには棘がある。」

その6 豊臣秀吉の開運・出世の源は大豆にあり

日本人の食生活は大豆抜きには語れません。豆腐や納豆はもちろん、醤油や味噌といった調味料まで大豆が活躍しています。大豆の起源はシベリアから中国の東北部あたりにあり、日本には紀元前3世紀頃の弥生時代に水稲とともに伝わったと考えられています。そして、鎌倉時代以降に全国的に栽培され始めたそうです。

豆は息災を意味する「まめ」に通じることから、昔から除魔の働きをすると考えられてきました。正月に無病息災を願って食べる黒豆や節分の福豆も大豆の持つ不思議な力ゆえのことかもしれません。

豊臣秀吉は誰よリも頭の回転が速く、明るく、優れた分析カや行動カを発揮し、天下をとった日本一の出世男として知られています。その秀吉の大好物が味噌汁だったそうです。しかも、通常の米麹や麦麹の味噌ではなく、大豆100%の豆味噌を使っていたようで、ひょっとすると秀吉の開運・出世の源は大豆にあったかもしれません。

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